NHKドラマ「経世済民の男・小林一三」が9月5日(土)と9月12日(日)21時から、2週に渡って放送。
 大阪では阪急グループの創設者として有名な小林一三氏の生涯を、NHK大阪放送局がドラマ化。そんなドラマのあらすじと、ドラマを楽しむための小林一三氏の生涯の小ネタをご紹介!

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NHKドラマ「経世済民の男・小林一三」のあらすじとキャスト

明治27(1894)年。甲州の裕福な家の生まれである小林一三(阿部サダヲ)は、三井銀行・大阪支店で趣味の小説を書きながらのんびり働いていた。ところが、新しい支配人として岩下清周(奥田瑛二)が着任してから生活が一変。独断で融資を決めるなど破天荒な岩下に振り回され仕事漬けの日々に陥るも、同時に銀行の仕事の面白さを知る。ところがその矢先、独断専行が目立つ岩下は辞任に追い込まれ、一三も転勤に…。その後北浜銀行を設立した岩下に「新会社の社長にならないか」と誘われ三井銀行を辞め大阪に飛び戻るが、翌日から株式市場が暴落。一三は岩下から北浜銀行が関わっていた行楽電車「箕有電車」事業の清算業務を任されることに。景気のあおりを受けた箕有電車を哀れに思った一三は、妻・コウ(瀧本美織)のひとことで画期的なアイディアを思いつき、弱小電鉄の再生に向け動き出す…。

http://www.nhk.or.jp/dsp/keisei/ichizo/index.html

 前編のあらすじは上記のように説明されています。
 前編は生まれてから、大阪にやってきて阪急電鉄の前進の立ち上げまでのようです。

 小林一三氏の人生、調べて見ると非常に興味深く、当然事業家として苦労して成功を収めるまでも興味深いのですが、実は阪急電鉄が事業として軌道に乗った後も、小林一三氏の個人としては波乱が多いんです。ドラマの後編は、阪急電鉄が軌道に乗って、そこから先のお話になるのでしょうか。

 と、ここで話をおしまいにしても面白くないので、歴史好きの管理人がお送りする、ドラマ「経世済民の男・小林一三」を更に面白く見るための小ネタ集の始まり始まり~。

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小林一三氏の歴史、幼少期から三井銀行入行まで

 小林氏は山梨県に生まれます。阪急の創業者なので、小林氏=大阪のイメージがありますが、出身は山梨県。明治時代は山梨県は多くの財界人、とくに金融界に多くの人物を輩出。当時、それら山梨県出身の財界人は甲州財閥と呼ばれていましたが、小林氏もその系譜に連なる一人です。

 小林氏は幼くして両親を亡くし、叔父夫婦の手によって育てられます。そして16歳で上京、後に福沢諭吉が主宰する、慶応義塾に入塾。慶応時代は文学青年ではありましたが、最終的に慶応のあっせんで三井銀行(現在の三井住友銀行)に就職。そうなんです、小林氏は元々銀行員出身。 

 本人は、周りの人が偉い人だらけで自分はまず出世しないだろうなぁ、と思いつつも、文学を趣味としながら、三井銀行には34歳まで勤めます。

三井銀行を退職し事業家=鉄道事業の道へ

 小林氏の人生に大きな転機を与えるのが、三井銀行OBで北浜銀行頭取となっていた岩下清周。三井銀行のあっせんもあり、岩下清周が設立する証券会社に参加することになり、三井銀行を辞めたものの、恐慌に見舞われ証券会社の話は無かったことに。小林氏は一転無職に。
 三井銀行も斡旋した手前、小林氏をそのままにしていく訳にはいかず、三井銀行は小林氏を鉄道会社(阪鶴鉄道)の役員に推薦、ここで小林氏と鉄道業界がつながることになります。

 そして持ちあがってきたのが、箕面有馬電気軌道の事業化の話。小林氏は将来性あり、として、岩下清周氏率いる北浜銀行を口説き落として、資金調達に成功。その資金により、現在の阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道の鉄道事業がスタートします。

 その時は小林氏35歳。役職は専務ですが、実質的な社長として箕面有馬電気軌道の事業を取り仕切ることになります。

北浜銀行の破綻で小林氏が阪急のオーナーに

 箕面有馬電気軌道の資金調達に成功し、事業もどうにか軌道に乗りかけた大正4年、不況の影響で北浜銀行が破綻。北浜銀行は箕面有馬電気軌道の大株主であり、小林氏は自ら借金をする等して、箕面有馬電気軌道の株を引き取り。

 ここで阪急グループのオーナーとしての小林一三氏が誕生。当時について、後に小林氏は下記のように述懐しています。

今日私が阪急の大株主となり、借金をして資本家と事業化とを兼ねたような立場におかれているのも、全く北浜の破綻があったからの事だ。北浜があのままずっと安泰でいたら、私はやはり一使用人として働いていたにすぎなかったろう。今日からみると、北浜の破たんがかえって私にうまいことになっているような訳で、世の中は運命次第という気がする。(「私の行き方」小林一三)

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北浜銀行破綻が阪急神戸線敷設の背景に

 北浜銀行の破綻は、箕面有馬電気軌道の経営にも大きな影響を与えます。
 当時、北浜銀行の支援で敷設が予定されていた、西宮-神戸間を結ぶ灘環状線も、北浜銀行の破綻によって、計画が頓挫。既に阪神間で鉄道事業を開始していた、阪神電鉄に灘環状線の売却を打診するも、阪神側が拒否。小林氏より、箕面有馬電気軌道と阪神の共同事業の提案も行われますが、こちらも阪神側は拒否し、最終的に箕面有馬電気軌道が西宮-神戸間の鉄道を敷設することに。
 そしてこの灘環状線が、現在の阪急神戸線。

 北浜銀行の破綻がなければ、阪急グループのオーナーの小林一三氏も無かった可能性がありますし、阪急電鉄には神戸線が存在していなかった可能性もあります。

 北浜銀行の破綻は、小林氏本人と阪急グループにとって、一大転機となった事件となっています。

 ちなみにその後、世は下って平成の世になり、村上ファンドによって阪神電鉄株は買い占められ、その後阪急グループが、阪神の株を村上ファンドから買い取り。その結果、阪神電鉄は阪急グループの子会社となっています。

 北浜銀行破綻時は、阪急より規模の大きかった阪神、小林一三氏が健在であれば、どんな感慨を持たれたのでしょうか?(ちなみに「私の行き方」の中で、灘環状線の一件について、小林氏は阪神側を、先見の明が無い、と一刀両断しています)

小林一三氏は東急の設立にも関与

 小林氏の阪急電鉄そして宝塚での活躍は、ドラマでも放送されるでしょうし、既に知られている通り。小林氏も大阪での大物財界人として知られるようになります。

 しかし小林氏の事業意欲は止まりません。小林氏は、後の東急電鉄の前身となる田園都市株式会社も経営。鉄道事業と宅地開発という、阪急で大成功を収めた事業モデルを東京でも展開していきます。その後、東急は田園都市株式会社から鉄道事業が分離し、その鉄道事業を引き継いだ五島慶太氏がグループのトップとなり、現在の東急グループを形成することになります。

実は近衛内閣と幣原内閣で入閣

 官僚嫌いで鳴らしていた小林氏ですが、戦前の第二次近衛内閣に商工大臣で入閣。本人は気乗り薄だったようですが、お国の為にやむなく・・・、という形で就任。

 しかし根っからの官僚嫌い+自由主義の小林氏が、戦時経済突入期にうまく手腕がふるえるはずはなく、軍部や官僚と対立し、早々に辞任。
 その顛末を雑誌に「大臣落第記」として執筆。このユーモアさ、管理人としては、小林氏の魅力が一番出ていると感じます。

 戦前は軍部や官僚とそりが合わず大臣を辞任した小林氏でしたが、日本の降伏後、幣原内閣で国務大臣(復興院総裁)として再度入閣。しかしながら、手腕を発揮することなく、近衛内閣の大臣経験者ということで公職追放となります。

 その後、東宝の社長を経るなどしますが、昭和32年(1957年)に大阪池田市の自宅で84歳で死去。その人生を終えることになります。

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松岡修三さんは阪急小林一族

 ここで閑話休題。実は元テニスプレイヤーの松岡修三さんは小林一族の方です。苗字は松岡性ですが、松岡家は元々兵庫県内でも名家。松岡家と小林家は婚姻や養子で結ばれ、松岡家は阪急グループを構成する小林一族の一員となっています。

 松岡修三さんから見ると、小林一三氏は曾祖父となります。祖父の松岡辰郎氏は、小林一三氏の次男ですが、婿養子として松岡家入り。祖父の松岡辰郎氏は第9代東宝社長、お父さんの松岡功氏は第11代東宝社長。お母さんは元宝塚の男役です。
 


実は阪急グループ小林一族の松岡修三さん

まとめ

 「私の行き方」という小林一三氏の名著をベースに上記書いてみました。銀行員の前と後とで、人生がガラッと変わっている小林一三氏。「大臣落第記」の一件、宝塚歌劇団の創設、現在の阪急沿線の雰囲気等、小林一三氏は非常に魅力ある方だったんだなぁ、と感じます。

 NHKドラマ「経世済民の男・小林一三」で小林氏を演じるのは阿部サダヲさん。阿部さんが、どんな風に小林一三を演じるのかも、非常に楽しみですね。

 と、長くなりましたが、NHKドラマ「経世済民の男・小林一三」を見るにあたって、知っていると更にドラマが面白くなるかもしれない小話でした。ドラマは9月5日(土)と9月12日(日)21時からの放送。楽しみですね。

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