ロシア・プーチン大統領が2016年12月15日に来日します。安倍首相の地元・山口に宿泊して、安倍首相と日ロ首脳会談を行う予定となっています。

 ロシア大統領の訪日は1998年10月のエリツィン大統領以来、18年ぶりとなります。

 18年ぶりに来日するロシア大統領のプーチン氏について、その経歴等を調べてみました。スパイ志望の少年がKGBを経てロシア大統領に至るまでのサクセスストーリー、人生の教訓を得ることができます。

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プーチン大統領の来日日程と宿泊予定先の山口「大谷山荘」

 ロシア・プーチン大統領が2016年12月15日に来日。日程的にはまず12月15日の山口訪問は決まっているものの、現段階(12月1日)では東京に立ち寄るかどうか発表されていません。

 よって12月15日に来日して日ロ首脳会談を山口で行い、1泊してそのまま帰国、という忙しいスケジュールの可能性もあります。

 プーチン大統領が宿泊を予定しているのは、山口県長門市の「大谷山荘」。山口では高級旅館として有名な宿で天皇陛下も宿泊されたことのある老舗旅館です。

16-12-1%大谷山荘
http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/8178/8178.html

 ちなみに前回、1998年10月のエリツィン大統領が来日の際に首脳会談が行われたのは、伊豆の「川奈ホテル」でした。

16-12-1川奈ホテル
http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/28472/28472.html

 今回18年ぶりにロシア大統領をお迎えする日本。プーチン大統領、と言われて名前はもう十分知れ渡っていますが、そもそもどんな経歴の方なのか、興味半分で調べてみました。

 スパイに憧れた少年が平凡なスパイになり大統領に上り詰めるまで、挫折と巡り合わせの運と、結構な人間物語が存在しています。

プーチン大統領の経歴

 プーチン大統領は1952年10月生まれの64歳。旧ソ連のレニングラード、現在のサンクトペテルブルクの出身です。

 ソ連の普通の家庭に生まれたプーチン少年、しかし祖父はレーニンの別荘の料理人。ロシア人としては珍しく酒も殆ど飲まなかった祖父は、真面目な料理人として勤め上げ86歳の長寿を全うします。また父親は、第二次世界大戦(ロシアでは大祖国戦争)では、スパイ部隊の一員として対ドイツ戦を生き抜いた英雄。経済的には普通か、若干貧乏ながら、レーニンの料理人の孫、またドイツ戦の英雄の息子として、プーチン氏は育つことになります。

 そんなプーチン少年、ワンパク少年ながら頭の良さは抜群だったようです。ただし小学校6年の頃には更生して(少々早い?)、勉強と柔道に打ち込む青年に。ちなみにプーチン大統領の柔道は本格的で、学生選手権の代表として全国を転戦する程の実力であり、当然黒帯です。

 やがてプーチン少年は家の影響や映画や小説からスパイに憧れるようになり、KGB(ソ連国家保安委員会)への就職を志望するように。KGBと言うのは、アメリカのCIAに似た組織ですが、当時泣く子も黙る組織として有名。歴史的にロシアはスパイ活動を重要視しており、ソビエト時代はKGBがスパイ活動の元締めとなっていました。

15.10.8ロシア国旗
ロシアは歴史的にスパイ活動を重視、日ロ戦争で活躍した明石大尉のロシアでの活動も殆ど筒抜けだったそうです

KGB就職を夢見て、レニングラード大の法学部へ

 中学時代にKGBに行って、KGBに入るにはどうしたらいいのか?、と質問したプーチン少年。KGBに入るなら大学の法学部出るのがいいよ、というアドバイスがあり、成年となったプーチン氏はレニングラード大の法学部に入学。尚、KGBの担当者から、KGBは自分でKGBに入りたいという人間は絶対採用しないから以後、本当に入りたいなら口にしないように、とアドバイスされ、それ以降、プーチン氏はKGBへの志望を口に出さなくなります。

 大学時代はKGBへの夢を語ることなく、法律の勉強と柔道に明け暮れるプーチン氏。実はこの真面目な大学生活を送ったレニングラード大が、その後のプーチン氏の挫折と成功の舞台となります。

 そして見事にプーチン氏はKGB入り。努力すれば少年時代からの夢がかなう、というまさに学校の教科書的なストーリー展開となっています。

KGBでの挫折を経てKGBを去る

 プーチン氏がKGB入りしたのは1975年。時はまさに冷戦の真っ最中ですが、徐々にソ連に対しアメリカの優位が確立される時期と重なります。

 そしてプーチン氏は1985年に東ドイツにソ連人学生の監督員として派遣。1985年と言えばソ連でペレストロイカが開始されたころで、共産圏としてはまさに東ドイツが民主化の火種となりつつあった時期に重なっています。

 1990年まで東ドイツに派遣されていたプーチン氏は、まさに目の前で国家が崩壊する姿を目にすることになります。KGBの派遣員として、本国に意見具申をしても、殆ど無視される事態に、プーチン氏自身のKGBに対し持っていた愛社精神(会社ではありませんが)も、完全ではないにせよ大部分が崩れてしまったのではないかと、推察されます。

 ただし東ドイツ時代のプーチン氏については、平凡なKGB将校、という評が多数残っています。外部から見れば、どうにかしなければ、というヤル気が空回りしていたのかもしれません。
 
 そんな失意のプーチン氏、1990年に辞令を受けて東ドイツを離れ、母港のレニングラード大学の学長補佐に。ここで学生時代の恩師で、その後のプーチン氏の人生に大きな影響を与えるサプチャク氏と再会します。このサプチャク氏、共産党打倒を叫び1990年に後の大統領となるエリツィン氏とともに共産党を離党。お目付け役的にKGBがプーチン氏をレニングラード大に送り込んだのではないか、と容易に想像できます。

 そしてそのサプチャク氏は1991年にレニングラード市長に当選。プーチン氏はKGB将校の身ながら、民主派のサプチャク氏の国際問題担当顧問に就任。ここでプーチン氏は驚くべき決断を下します。それは、KGB脱退。中佐階級で予備役に編入となります。

 当然、KGB本部は怒り心頭。この時点でKGBは、プーチン=使えないスパイ、との烙印を押すことになります。

16-12-1スパイ
KGBから使えないスパイ認定されていたプーチン氏

最後までサプチャク氏を守るプーチン氏

 KGBに三下り半を突きつけたプーチン氏、飛ぶ鳥の勢いのサプチャク氏の右腕的存在となり、1994年には第一副市長の座にまで上り詰めます。この時のプーチン氏は42歳。まぁ転職が大成功したパターンですね。

 ところがここで大きな落とし穴が待っています。プーチン氏のボスであるサプチャク氏、共産党打倒を唱えレニングラード市長となったものの、敵も多く(というか敵ばっかり)、様々な疑惑や批判が渦巻き、1996年の市長選に僅差で敗北。ボスのサプチャク氏の敗北により、プーチン氏もレニングラード副市長の座を退くことに。
 既にその頃は、KGB出身のできる男、として名前が知られ始めていたプーチン氏、相手陣営からの留任要請もあったようですが、全てことわりサプチャク氏に筋を通します。

 日本の場合、選挙で落選した政治家はあまり叩かないのですが、ロシアは異なり、選挙で敗北したサプチャク氏に対し国有財産横領の嫌疑がかかり捜査が開始されます。この捜査に対して立ちはだかったのがプーチン氏。自らの人脈を使い、軍事病院への入院更にはフランスへの亡命までさせて、サプチャク氏を司直の手から守り抜きます。落ち目のサプチャク氏(市長時代の評判はそれ程芳しくありません)に対して、最後の最後まで義理を果たしたのがプーチン氏。

 プーチン氏は1996年には大統領府に次の職を得ており、ほなさいなら、とすることもできたのですが、最後まで前のボスを見捨てない姿を、ジーッと観察している人物が存在しており、この人物こそが時の大統領エリツィン。この最後までボスを守り切る仕事が、プーチン氏の人生を決定付けることになります。(尚、プーチン氏が首相になった2000年にサプチャク氏はロシアに帰国しています)

エリツィン大統領から後継指名を受ける

 1996年に大統領府に出仕後、着実にステップアップをしていたプーチン氏、遂に1998年にはKGBの後任組織となるFSB(ロシア連邦安全保安庁)の長官に就任します。この出世の後には、当然エリツィン大統領の後押しがあったと考えるのが普通です。

 1998~1999年には既にエリツィン大統領はウォッカの飲み過ぎで政治の当事者能力が無くなっている、と噂されており、後任が誰になるのかが、各方面が非常に興味を持って見守っていました。

 そんな中の1999年8月プーチン氏はエリツィン大統領より第一副首相に指名され(実質的に前首相の後任)、その後に首相に就任。エリツィン大統領の後任に、プーチン氏がダークホースとして突如として表舞台に登場しました。
 
 そしてそのまま、12月には引退を宣言したエリツィン大統領からプーチン首相は後継に指名され、大統領代行に。エリツィン大統領の引退宣言は、1999年12月31日であり、2000年問題で会社のオフィスに正月から早朝出勤していた管理人、会社のテレビでエリツィン氏の引退のニュースを見た記憶があります。この小さいオッサンが大柄なエリツィンさんの後任かぁ、と思ったものです。

 ここから先は、想像の世界ですが、エリツィン大統領がプーチン氏を後任に指名した際の決め手は、大統領退任後の自らと身内の安全の保証でしょう。

 時の権力者が引退した後に、政権時の不正を追及されてお縄にかかる等の事態は、歴史を振り返るまでもなく、ここかしこに存在しています。身近な例で言えば、韓国の大統領は退任後、殆ど政権担当時の不祥事の責任を問われて不幸になっています。(現在の朴大統領は現役での不祥事が炎上しており、非常に珍しいケース)

 エリツィン政権も、相当腐敗が進んでいたと言われており、エリツィン大統領の退任後、歴史が繰り返さない保証はどこにもありません。そんな時、前のボスのサプチャク氏を最後まで守り抜いたプーチン氏であれば、間違ったことはしないだろう、という計算がエリツィン大統領の頭の中でされたことは容易に想像がつきます。

 サプチャク氏を守った時は滅私奉公的な色合いがありますが、大統領退任後のエリツィン氏を守るというのは取引(大統領ポストと引き換え)の色合いが強いのですが、それもサプチャク氏を守った、という実績あってこそ。

 実際に、プーチン氏はその後エリツィンファミリーに指一本ふれていません(エリツィンファミリーの側も、プーチン政権に対して変なことしなかったのも大きいと思いますが)。できる男プーチンは約束を守る男でもあったのです。

 そして2000年3月に大統領選挙に出馬し勝利したプーチン氏は、以後16年に渡り一貫してロシアのヘッドとして表舞台に立ち続けています。

 長くなりましたが、プーチン大統領の出世物語をまとめてみました。時の上司に最後の最後まで尽くした結果が別の所で報われるって、サラリーマン的には非常に興味深い所ではないでしょうか?

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離婚しているプーチン氏

 実はプーチン大統領は2013年に離婚しています。1983年から30年以上連れ添ったリュドミラ夫人といわゆる熟年離婚です。大統領にも家庭がある訳ですが、離婚の事情は詳しくは漏れ伝わっていません。プーチン大統領、お気に入りの美人国会議員アリーナ・カバエワ氏との再婚も噂されていましたが、プーチン氏は今も独り身となっています。

 ロシアの諺で、ロシア人の男性が出張して不倫をしなかったのはガガーリン少佐だけ(人類初の宇宙飛行士、一人で宇宙にご出発)、というのがありますが、事実はさておきプーチン大統領の不倫話は、ロシアではタブーだったようです。

まとめ

 長文になりました、お付き合いいただき有難うございました。

 夢やぶれてKGBをやめたり、前の上司に殉じてレニングラード市を去ったり等、プーチン大統領の冷静な風貌とは裏腹に人生は案外平坦じゃなかったのね、という部分が調べていると非常に面白く感じました。けど、やはりプーチン大統領、真面目な方なんだとは思います。ここは一貫しています。

 来日するプーチン大統領、日本側としては北方領土問題の解決に期待したい所ですが、修羅場をいくつも潜りぬけてきたプーチン大統領、そう簡単に北方領土問題が解決できるとは思えません。

 果たして12月の来日で、北方領土問題に何か具体的な問題解決に向けての動きが出てくるのか、注目したいと思います。

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