イギリスは国民投票でEU離脱を決定。その決定は世界を震撼させ、遠く離れた日本でも株式市場及び為替市場に大きな影響を与えました。

 そしてイギリスのEU離脱決定とともに、スコットランドが独立を模索すると宣言。2014年に国民投票でイギリス残留を決めたスコットランドですが、それはイギリスのEU残留が大前提であり、前提条件が崩れたため、再度スコットランド独立への動きが始まりつつあります。

 日本人から見れば一緒に見えるイングランドとスコットランド、なぜ今になって独立を言い始めたのか?その理由を知るには歴史を紐解くのが一番。またスコットランドが独立の場合、その影響は?

 スコットランドの独立運動の理由とその影響を調べてみました。

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イギリスのEU離脱が決定した国民投票、スコットランドはEU残留が多数

 ヨーロッパの歴史の転換点となりそうなイギリスのEU離脱の決定。僅差で残留を決定する、という予想は大外れで、最終的にイギリス国民はEU離脱を決断しました。

 ところが地域別にEU離脱と残留を色分けしてみると、イングランドはロンドンを除く殆どの地域で離脱が多数を占めましたが、スコットランドは圧倒的にEU残留が多数。元々、EU残留を主張していたスコットランド、その説が証明された形となりました。

 そしてイギリスのEU離脱決定後、スコットランド自治政府は再度独立に向けた模索を始めると表明。既に2014年にスコットランド独立を問う国民投票で、スコットランドはイギリス残留を決定していますが、再度その動きが開始される様子。

 元々、スコットランド独立の国民投票は、一回限り、というのがイギリス政府との約束でしたが、イギリスがEUに加盟しているのが大前提であり、その大前提が崩れてしまった今、そもそも前提が変わってしまった、ということで再度独立を模索することに。

 EU離脱派は、イギリスのEU離脱はスコットランド独立運動にはつながらない、とタカをくくっていたフシがありますが、こちらの予想は見事に外れた結果となっています。

16.6.28英国民投票-地域別投票結果
スコットランドは殆どが緑色=EU残留の地域(wikimediaより)

スコットランド独立運動の理由、その歴史的背景

 日本から見れば、同じ島の中にあるイングランドとスコットランド、同じイギリスの地域の名前じゃないか、という印象を受けますが、実は全く違います。元々別の国だったイングランドとスコットランド。
 元々スコットランドは別の国だった、と聞くと、確かに独立運動とかもありそう・・・、と何となく分かりますが、一番分かりやすいのは両国の歴史を紐解くこと。簡単にスコットランドの歴史を紐解いてみます。

スコットランドの歴史、イングランドとの関係

 スコットランドの歴史を語り始めると、実はローマ時代以前まで遡り、えらく長くなってしまいますので、歴史的ポイントを中心に記します。

・500年頃 アーガイル地域にスコット人の王国建設
・1296年 イングランド王エドワード1世がスコットランドに介入、イングランドの支配開始
・1328年 「エディンバラ・ノーサンプトン条約」成立、イングランドはスコットランドの独立を認める
 →その後も、イングランドとスコットランドの抗争は継続
・1603年 エリザベス1世の後、スコットランドのジェイムズ6世がロンドンに赴きイングランド王を兼務、同君連合が成立
・1651年 クロムウェルがスコットランドを占領
・1707年 「合同法」成立、イングランドとスコットランドの主権が統一され大ブリテン国に
・1999年 スコットランド自治議会発足
・2014年 スコットランド独立を問う国民投票実施(イギリス残留へ)

 アングロサクソンがイングランドであれば、スコットランドはスコットランド人。パッと見、イングランドとスコットランドは同じ国と見えますが、古い話で言えば民族も異なっています。

 上記の年表を見ても分かる通り、歴史的にはスコットランドとイングランドはお隣同士の別の国。国力の高いイングランドに対して、国力の低いスコットランドが対抗する、という抗争の歴史がズーッと続ていました。

 1603年にスコットランド王のジェイムズ6世が、スコットランド王とイングランド王を兼ねる同君連合が成立しますが、王は同じくしても両国で制度も主権も別々という状態であり、この時点ではまだ全く両国は別の国。日本で言えば1603年は徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府が成立した年。江戸幕府成立した頃は、まだスコットランドとイングランドは別々の国だった、と言われれば、スコットランド独立の雰囲気が多少、なるほど、と感じるかもしれません。

 ただし1603年以後も、イングランドとスコットランドの抗争は続きます。そして最終的には1707年にスコットランド議会とイングランド議会の「合同法」が成立し、大ブリテン国へ。ここで初めて、スコットランドとイギリスは1つの主権の下で統一国家の形をとることになります。

 歴史的に見れば、イングランドとスコットランドが一つの国になっていたのはたった300年ほど。イングランドとスコットランドは別々の国の時代の方が長かった、更にスコットランドはイングランドに対し劣勢だった、となれば、スコットランドがイギリス=イングランドから独立しよう、との考えを抱くのはごく自然な流れともいえます。

16.6.28スコットランド国旗-min
スコットランドの国旗

スコットランド独立の場合の影響

 ハッキリとはまだ分かりませんが、スコットランドがイギリスから独立した場合、下記の影響が予想されます。

①北海油田
 ピーク時に比べ生産量が減少しているとはいえ、イギリスの宝とも言うべき北海油田。北海油田は主にスコットランド沖に位置しています。またイギリス最大の石油の都・アバティーンはスコットランドに所在。

 仮にスコットランドが独立の場合でも、イギリス政府が簡単に北海油田の権益を譲るとは思えませんが、間違いなく北海油田の帰属はイギリスとスコットランドの争点となります。スコットランド独立派は、国家建設と維持の財源を北海油田に求めており、スコットランドとしても北海油田を手に入れることができるかどうかは、新国家建設の重要なポイントとなります。

②クライド海軍基地
 スコットランドのクライド海軍基地は、戦略核で武装した原子力潜水艦の母港。

 核保有国としての面も有するイギリスですが、原子力潜水艦の基地はスコットランドのクライド海軍基地含め3か所保有。スコットランド独立となると、その内の1箇所の利用が困難になるため、イギリスの安全保障政策上、極めて面倒な事態となります。

③他地域独立への影響、特に北アイルランド
 スコットランドの独立が決定すれば、それではウチも・・・、とヨーロッパ各地で第二第三の独立運動が発生する可能性が指摘されています。2014年の国民投票の際は、スペインのカタルーニャ州の独立に飛び火するのでは?、と噂されました。

 そして今回、イギリスのEU離脱決定で、更にスコットランドも独立となると、次なる焦点は北アイルランド。イギリスは、IRAという北アイルランド独立組織とのテロとの戦いの歴史を経ており、スコットランド独立が北アイルランド独立運動につながっていくと、イギリスの歴史的には非常に厄介な事態となりかねません。

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イギリスがEU離脱となりEUに入りやすくなったスコットランド

 2014年にスコットランド独立を問う国民投票の際、仮にスコットランドが独立したら通貨はどうする?、という問題がありました。イギリスはポンドは使わせない、という立場でしたし、EU加盟にも時間が掛かる+イギリスの嫌がらせが予想されました。

 しかし、イギリスがEU離脱を決めたことにより、スコットランドのEU加盟は、要件が整えばスンナリ進む可能性が出てきました。となるとスコットランド独立後、目先の問題はあるとしても。将来的には通貨はユーロを利用、ということが現実味をもって語ることができるようになります。

 イギリスのEU離脱、経済面から語られることが多かったのですが、国の形という観点では、イギリス国解体のパンドラの箱を開けてしまった可能性があります。

まとめ

 日本からみると、スコットランドと言っても同じイギリスじゃないか、と思ってしまいます。ところが歴史を少しでも振り返ると、スコットランドはイギリスの中心国たるイングランドと非常に長い期間に渡り抗争を繰り返してきた歴史があり、同じイギリスという傘の下に収まったのはたかだた300年ほどです。

 よって歴史的に見れば、スコットランドの独立が話題となるのは、ある意味では必然と言えます。

 EU離脱という自らの引き金によって、スコットランド独立運動に再点火してしまった感のあるイギリス。まだスコットランドは独立に向けて模索を開始する、という段階で、今後どうなっていくのかは分からない面も多いのですが、スコットランドの歴史を知ると、スコットランド独立のニュースが奥行きをもって見ることができるようになります。

 本当にスコットランドは独立してしまうのかどうか、今後興味深く見守りたいと思います。

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